2010/01/19

桜井茶臼山古墳見学会3 その上にベンガラ土で覆った

 
冊子は、さらに天井石は、ベンガラを練りこみ、赤色にした粘土によって被われていましたという。
見学していた時は天井石とベンガラの層の間には段差があって、その間には彩色していない土の層があったように見えたが、このように見ると、ベンガラ層の下にある土の層は、天井石の周囲を天井石と同じ高さにするために盛った土だったのだ。
粘土の上面には直径5-7㎝の円形の窪みがあり、先端の丸い棒でつき固めたことがわかりますという。
確かに丸い棒で突いたような跡が残っている。棒で土を突き固めるというのは版築では。すでに版築の技法が将来されていたのだろうか。それとも各地で普遍的に行われた工法なのか。 先行く人たちが外側を向くので、何かあるのだろうかと見てみると、穴があった。布掘り掘り方って何? 横に壺があった。下の方は版築の均質な土なのに、壺の周囲だけが砂利や根っこのようなものがたくさん混じっている。半周して北側から見る。被葬者は南北どちらに頭を向けていたのだろう。 こちらの天井石や控え積み石材は水銀朱の赤い色がよく残っている。 昭和24年に、盗掘を契機として最初の発掘が行われました。それから60年が経過した本年、再発掘を実施しました。
埋葬にあわせて副葬された器物には、玉杖をはじめとする玉製品や、鉄製・青銅製の武器類のほかに、多数の銅鏡があったようです。しかし、いずれも盗掘によって攪乱・破壊され、置かれていた位置や数量は不明です
という。
南面の積石の上部がないのは盗掘によるものらしい。それにしても不揃いな板石が平らな壁面のように整然と積み上げられている。
見学会からふた月余りの2010年1月8日、日本経済新聞朝刊に「銅鏡 国内最多81面出土」というタイトルで、副葬された銅鏡の調査結果が発表された。鏡が細片だったことについて同研究所は「破砕して埋納したのではなく、何かの理由で盗掘者が割った」とみているという。
この狭い空間で、粉々になるくらいに割ることのできるとは、銅鏡というのは見た目よりずっともろいものなのだろう。 また、同日の同夕刊には、「国内最長 ガラス製管玉も」という記事があった。
調査を手掛けた奈良県立橿原考古学研究所は「精巧な造りで、大王級の墓にふさわしい副葬品」としている。
今回見つかった管玉には気泡がほとんどなかった。高温で鋳造した上質の中国製ガラス棒の両端から穴をあけたとみられる
という。
どちらかというとこのガラスを見てみたいなあ。しかし、橿原考古学研究所附属博物館で『再発掘 桜井茶臼山古墳の成果』展が開催されているが、1月31日までとは短すぎる。

画像の中には、前方部にあった写真パネルを撮ったものもあります。

※参考文献
「桜井茶臼山古墳の調査 現地見学会資料」(2009年 奈良県立橿原考古学研究所)
日本経済新聞の記事