2009/12/15

中国のソグド商人

 
連珠円文の緯錦はササン朝ペルシアではなくソグド製だった(『古代イラン世界2』より) というが、ソグド人はソグド錦をもたらしただけでなく、中国で暮らしていたことが、各地で発掘される墓からわかってきたらしい。

石棺床飾板 大理石 北周-隋時代(6-7世紀) 個人蔵
『天馬展図録』は、墓主は国際商人として中央ユーラシアの東西を往来し、ゾロアスター教(拝火教、祆教。ペルシア起源)を信仰したソグド人であった可能性が高い。
本品にみられる円形連珠文に天馬を配した意匠はペルシアに起源をもち、ソグド人によって、その故地であるブハラ、サマルカンドなど中央アジアのオアシス都市を経て、中国にもたらされたと考えられている。
ササン朝ペルシアで多用された連珠円文の中に有翼馬を描いている。それは単なる装飾ではなく、石棺の主の来世に対する配慮であろう。
天馬の図像は北周・大象2年(580)の史君墓石槨や、隋・開皇12年(592)の虞弘墓石槨(ソグド系の図像構成をもつ)などにもみられ
るという。
馬の他に鹿・大角羊が連珠円文の中に表されているが、翼以外には、首に鈴、背中にリボンがついている。  棺槨部分 白大理石に彩色 山西省太原市晋源区王郭村虞弘墓出土 隋・開皇12年(592) 太原市晋源区文物管理所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、墓主の虞弘は中央アジアの魚国の出身で、若くして茹茹国(柔然)に仕えてペルシア、吐谷渾などに使いした。その後、北斉に出使して、北斉、北周、隋で官職を歴任し、北周ではソグド人を管掌する「検校薩保府」となったという。
馬上で飲食する墓主の頭上を飛ぶ鴨の首にはリボンがある。馬の足首にもリボンがついていて、ササン朝にはみられなかった意匠だ。このように動物にリボンをつけるというのは、ササン朝ではなく、ソグド人の好みかとも思うが、上の連珠円文内の動物で足首にリボンを付けたものはないなあ。
ササン朝の騎馬図はこちら 棺槨部分 虞弘墓出土
彩色で衣服の文様が残っている。無地の布の縁取りに使われたものは連珠円文だろう。キジル石窟の寄進者像壁画(7世紀)やアフラシアブ出土の壁画(650年以降)にも見られるが、それ以前にソグド人が連珠円文の文様のある布を身に着けていたのだ。
しかも、シルクロードの終着点で、隋の都があった長安よりもずっと北東部にある太原で。墓があったということは居住していたのだ。きっと連珠円文を縁取りにした服を身に着け、太原の街を歩いていただろう。
西安と太原の位置関係は、グーグルマップでこちら  『文明の道3』は、ソグド人たちは、中国の町の中に植民集落を築き、中国の社会に入り込んで暮らしていた。実はこれが、彼らの交易戦略の第一歩だった。
中国社会に入り込みながら、ソグド人たちは絹の交易に手をそめていった。
ソグド人たちは、絹を持って西への道をたどった。敦煌から発見されたソグド人の交易の姿を描いたとされる壁画も、絹の反物を持った数人の商人がまさに山賊に襲われている様子を写している
という。
敦煌莫高窟第45窟にその図がある。しかし、右端の不思議な形の建物に関心があったため、刀を持った強盗に命乞いをしている人達が何を持っているかまでは見ていなかった。鞍の両側の荷物は反物なのだろう。
顔は目深高鼻のソグド人のようだが、他の中国人と同じような服を着ている。連珠円文の縁取りもなさそうだ。第45窟の壁画はこちら

ところで、太原のソグド人着ていた服の連珠円文はどんなものだったのだろう。中国製だったのだろうか。それともソグド錦だったのだろうか。
ソグディアナの絹織物に詳しいアベッグ財団のレグラ・ショルタさんによると、「絹糸が十分に手に入るとソグド人たちは自分たちの手でシルクを織るようになりました。交易の民であったソグド人たちは、当時の流行について、的確な情報をつかんでいました。
彼らは、何が好まれるのか、何が好まれないのかを把握していました」
という。
きっと最新の意匠の連珠円文を身に着けて、街を歩いていたのだろうなあ。それを目にした中国人たちが欲しがるように。

そういえば、北斉(550-577年)の石槨線刻の商談図には、胡服独特の派手な飾りの服(『中国★美の十字路展図録』)の胡人が登場する。その胡服には二重の円文が縁取りになっているて、これもまた連珠円文を表したものだろう。
同図録は、他の図では墓主が鮮卑帽をかぶっているところから、北斉の統治階級の鮮卑人とも考えられよう。ソグド商人と交渉のあった人物が東方の山東省清州にもいたことは驚きであるという。
清州は山東半島の付け根にあたる。ソグド商人は、半島から中国の商船に乗って新羅まで行っただろうなあ。慶州掛陵(798年頃)の石人にソグド人風の人物が表されていても不思議ではないのでは。

関連項目

ササン朝の首のリボンはゾロアスター教

※参考文献
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団  
「天馬展図録」 2008年 奈良国立博物館
「中国★美の十字路展図録」 2005-2006年 大広
「文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会