2009/10/30

ササン朝ペルシアの連珠円文は鋲の誇張?

 
法隆寺の四騎獅子狩文錦のような連珠円文で文様を囲むという、日本にももたらされた意匠はペルシア起源だと思っていた。
そして粒金細工の作品を調べている内に、連珠円文も金の細粒やそれをまねた打出し列点文を、主文の周囲に円形に並べたものから生まれたのだろうと思うようになった。ところが、

天馬を表した織物断片 エジプト、アンティノエ出土 7世紀後半 絹 ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、ササン朝の織物ないしその伝統をくむものは、エジプト、カフカス地方、新疆ウイグル自治区などの古墓から出土している。
また、近年ではチベットや中国南部からも出土している。また、ウズベキスタンのソグド絵画(7-8世紀前半)の人物像の衣服に描写された装飾文にも、ササン朝に起源したといわれる文様が見られる。
これら現存する織物は絹織物であり、その文様はほとんど緯錦(ぬきにしき、地と文様を緯糸で折り出す技法)で織られているといわれる。代表的な文様は、連珠文で縁取りした円文の内側に、猪、怪獣(セーンムルウ=シームルグ)、首飾りをくわえた鳥や牡羊、天馬などゾロアスター教の吉祥文をあしらったものである。
しかしながら、ターキ・ブスタン大洞(7世紀前半)の国王猪狩り図の王侯の衣服  ・・略・・ などの装飾文様と比較すると、いずれも形式的に発達したもの、すなわちササン朝の文様よりも後代の作品である蓋然性が大きい
という。
主文はササン朝ペルシア起源でも、連珠円文に囲まれた動物の錦は、どうもササン朝が651年に滅亡したよりも後に作られるようになった可能性が高いらしい。この錦は6-7世紀となっているが、7世紀後半の作品のようだ。
大きな円文が並ぶが、上下左右にはもっと小さな円文で何かを囲んだモチーフがある。 7世紀前半というササン朝滅亡直前に造られたターキ・ブスタン大洞に表された衣服の文様はどのようなものだろう。

シームルグ文 イラン、ターケ・ボスターン大洞内奧浮彫 7世紀前半
『古代イラン世界2』は、今日、イランの地でサーサーン朝ペルシア錦(324-641)とされるものの出土例は知られていない。それを具体的に知りうるのが有名なターケ・ボスターンの摩崖に掘鑿された大小二洞の大洞内壁に刻まれた浮彫(7世紀前半)の織物とみられるものの模様である。それは確実にサーサーン朝ペルシア後期の錦(サミット)の模様と言ってよい。東京大学イラン・イラク調査団はこの織物の模様に関して詳細な研究を行っている。それによれば織物の模様は50パターン以上が識別され、その装飾の基本的なフォーマットは菱格子文形式、水平列の段文形式そして円文形式のおよそ3つのタイプに分けることができるという。
なるほどシームルグというササン朝独特の怪獣が草花のような円文に囲まれている。下中央には四弁花文から両側に上方向に花文が向かっている。道明三保子氏の復元図(同書)には上中央にも四弁花文がある。 確かに7世紀前半のササン錦には、主文が連珠円文に囲まれたものはないようだ。
とりあえず連珠円文そのものがどこで誕生したかを探していると、ペルシアには大きな円形の突起の並んだものがいろいろと見つかった。

ファレーラ イラン出土 6-7世紀 銀 径5.3㎝ ベルリン国立博物館イスラーム美術館蔵
馬の胸繋(むながい)や尻繋につけた円形飾り金具らしいが、大粒ながら連珠円文と呼べるのではないだろうか。体には二重円文がびっしりと並んでいるので孔雀を表しているのだろうか。トサカと蹴爪もある。 壁の装飾浮彫 テペ・ヒッサール出土 ササン朝(6世紀) ストゥッコ 高38.0幅38.0 イラン国立博物館蔵 
『ペルシャ文明展図録』は、建物の壁を飾っていたストゥッコ製の飾り板。型造りによる。穴あき連珠文の中に猪の頭部側面が表現されている。猪はササン朝の帝王による狩猟図でしばしば描かれる獲物の一つ。同種の作品はササン朝ペルシャの首都であったメソポタミアのクテシフォンでも発見され、そこでは猪の他に熊や孔雀などを表した方形ストゥッコ板も見られる。これらのストゥッコ装飾は6世紀のもので、ササン朝後期の作品という。
「穴あき連珠文」という言い方もあるのか。同書には穴あきでない連珠円文の装飾浮彫もあった。連珠猪頭文錦はササン朝のものでないなら、どこで製作されたのだろう。


リュトン イラン出土 4世紀 銀 長25.4㎝ A-M・サックラーギャラリー蔵
リュトンの口縁部にも大きな円文が巡っていた。粒金細工にも端に金の粒が並んでいるものがあった。イランの連珠円文はどれも大きいなあ。 ロゼット文の装飾タイル ペルセポリス出土 アケメネス朝(前550-330年) 石灰岩 高34.5幅33.5 ペルセポリス博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、浮彫で中央にロゼット文を配し、周縁部に連珠文を巡らせているという。
これも「穴あき連珠文」に入るのだろうか。連珠文は円形に巡らせるものとは限らなかった。 嘴形注口容器 ルリスタン州ハトゥンバン出土 前1千年紀前期(前1000-500年) 青銅 高11.2長26.2 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、口縁部がわずかに開いた球形の胴部に嘴形の注口が付く容器。土器にも似た形のものがしばしば見られる。胴部と注口の接合部にめぐらされた連珠様の装飾は、注口を留める鋲を誇張したもの。本作と同様の容器が古墓から出土する例が報告されており、祭祀に用いられたと考えられるという。
これがペルシアで見つけることのできた最古の連珠文だった。 粒金細工から連珠文が誕生したと思っていたのに、こんなに大きな「鋲の誇張」だったとは。  

※参考文献
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 2002年 (財)島根県並河万里写真財団
「ペルシャ文明 煌めく7000年の至宝展図録」 2006-2007年 朝日新聞社 
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館