2009/06/19

翻波式衣文はどこから

 
では、鑑真和上と共に渡来した中国では同時期にどのうな翻波式衣文だったのだろう。残念ながら中唐期の仏像に良い例を見つけることができなかった。

如来坐像 唐時代・景龍4年(710) 石灰岩 最大幅44.5㎝奥行45㎝ 山西省出土芮城県風陵渡東章出土 芮城県博物館蔵
『中国国宝展図録』は、切れ長の目と引き締まった口元から作られる表情は、おごそかな雰囲気を漂わせる。衣の襞の処理などはややパターン化しているとはいえ、肌には張りを感じさせ、優れた造形感覚をうかがわせるという。
710年は中唐か盛唐か、『中国の仏教美術』は盛唐を712-762年としているが、景雲2年(711)銘阿弥陀仏坐像を盛唐に入れているので、この像も盛唐期のものと見て良いだろう。
この像の衣文は、解説で「パターン化している」という。翻波式衣文もあるのだが、パターン化というよりも、こなれていないようにも見える。開元年間(713-741)の仏像には翻波式衣文は見られず、どのように唐招提寺の仏像の翻波式衣文へと繋がるのか全くわからない。 ガンダーラの仏像に翻波式衣文が顕著だった記憶がある。

観音菩薩立像 4-5世紀 片岩 高108㎝幅48㎝奥行21㎝ ガンダーラ、サハリ・バハロール出土 ペシャワール博物館蔵
『ガンダーラ彫刻展図録』は、頭体のバランスが崩れ、肉体も抑揚を欠いたものとなり、衣文線も形式化の進んだ単調な表現となっているという。
確かに表情も姿も、ガンダーラ仏とは認め難い。本来の衣文が二重になり、しかもその二重の衣文と衣文の間に細い浅い翻波式衣文が見いだせる。 仏立像 1-2世紀 片岩 高170㎝幅56㎝奥行26㎝ ガンダーラ出土 ペシャワール博物館蔵
単独像として最も古いタイプとされている。両肩をおおう通肩に衣をつける。その襞は、深浅を巧みにおりまぜて自然な曲線を描き出した写実的な表現となっており、ガンダーラ仏におけるヘレニスティックな様式を示しているという。
いわゆるガンダーラ仏として様式化するまでのガンダーラの仏立像にも、すでに浅い翻波式衣文が衣文と衣文の間に現れている。  婦人像浮彫 2世紀末 パルミラ出土 シリア国立博物館蔵
『シリア国立博物館』は、神の像だけでなく、英雄や偉人の姿を彫像として永く世にとどめておこうとする西アジア古来の風習は、ローマ期にはいっそう顕著なように思われる。ヘレニズム期の死者の像の流行も、こうした風潮と深層では無関係とは思えないという。
パルミラに行くと地下墓や塔墓にこのような浮彫が縦横に整列している。それは1つ1つのミイラ室の蓋であるが、死者の姿を写実的に表したものではない。時代による様式の違いはあっても、どれも同じような個性のない顔である。その中でもこの浮彫は衣文を丁寧に彫り込んだ像で、翻波式衣文が様式的なものではなく、すっぽりと頭から被った布が自然に肩にそってできた皺のように表現されている。 墓碑:幼児を抱く女性と侍女 前370年頃 大理石製 高136.0㎝幅87.0㎝ ギリシアあるいはトロアス(トルコ)発見
『ルーヴル美術館展図録』は、女性は右肩上に見える袖付きのキトン、ピンで留めたペプロス、そしてその上に身体を包み込む毛織物の厚手のマント(ヒマティオン)の3種類の衣服を身に纏っているという。
右脚外側の衣文のカーブが、実際にこのようになるのか妙な気がするが、この大きく表された墓碑の主及び侍女の衣服には浅い翻波式衣文が表されている。デルフォイの御者 ブロンズ 高180㎝ ギリシア、デルフォイ出土 前478または474年 デルフォイ考古美術館蔵
御者の正装である袖付きの長衣を腰で留め、襷を掛け、首と腰を向かって左側に軽くひねっている。
様式的には、装飾的な頭髪の扱いや、写実的な描写よりも形式的な美しさの表現を優先させた上半身の衣文の作りに、奉納者の統治域でもある南イタリアの彫刻の様式特徴がみとめられる
という。
これがギリシアで翻波式衣文のある最も古い像の1つである。これにも翻波式衣文があった。 ギリシアクラシック期以前に翻波式衣文のある像を見つけることはできなかった。

※参考文献
「中国国宝展図録」(2004年 朝日新聞社)
「世界美術双書006 中国の仏教美術」(久野美樹 1999年 東信堂)
「パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録」(2002年 NHK)
「世界の博物館18 シリア国立博物館」(1979年 講談社)
「ルーヴル美術館展 古代ギリシア芸術・神々の遺産図録」(2006年 日本テレビ放送網株式会社)
「世界美術大全集4ギリシアクラシックとヘレニズム」(1995年 小学館)