2008/10/06

マトゥラー仏やガンダーラ仏の瓔珞は


後2世紀初頭にローマ社会に出現した花綱を担ぐ童子は、かなり早い時期にクシャーン朝に伝わり、仏教美術の装飾にも使われたことがわかったが、菩薩の瓔珞に使われたのだろうか?瓔珞はどんなだったのだろう。
 
弥勒菩薩立像 パキスタン・タキシラ出土 2-3世紀 タキシラ考古博物館蔵
『ブッダ展図録』は、菩薩は上半身裸形で、首飾り・胸飾り・護符飾り・聖紐飾りを掛け、また臂釧・腕釧をつけて豪華に身を飾る。ガンダーラの菩薩像は、当時の王侯貴族の姿がモデルになったものと思われるというということで、菩薩の装飾品はガンダーラのものばかりで、花綱を思わせるものはない。 菩薩坐像 マトゥラー、ガネーシュラー出土 2世紀 マトゥラー博物館蔵
『マトゥラー彫刻展図録』は、この像で目を惹くのはさまざまな装飾である。首飾りは、長短合わせて4種あり、短いタイプは連珠形と帯状の2種がある。胸まで垂れる長いタイプは、6条の連珠文と一対の動物頭を組み合わせた幅広のものと、その外側に鎖状の細いものとがあり、こちらは7つの鈴形飾りをつけた三日月形の装飾をぶら下げる。左肩から右脇にかけては、護符入れを3つ連ねた細紐をかける。このタイプの護符入れはアフガニスタンのジャララバードから金製の実物が出土している(大英博物館)。これらの装飾品の多くは、ガンダーラの菩薩像と共通し、両地の盛んな交流を物語っているという。
瓔珞というか装飾品を身に着ける習慣がマトゥラーにはなかったのかも。そういうと、マトゥラー仏の瓔珞は思い浮かばなかった。  菩薩倚像 ガンダーラ 3-4世紀 
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、樹下に思いをめぐらす菩薩を表す。ターバンを被り、蓮華を手にすることから観音菩薩であろう。両側の花綱を手にした者たちはこの作品の寄進者もしくはその亡くなった先祖で、死後に極楽へいけるよう祈願したものと思われるという。この菩薩も同じような瓔珞をつけている。
そして、ここで花綱が登場する。寄進者が菩薩に花綱を掛けようとしているのか、それとも寄進者の持物として持っているのかわからない。『ガンダーラとシルクロードの美術』のいう極楽への生まれ変わりという意味が込められているのだろうか。 このようにガンダーラ仏もマトゥラー仏も、地域や時代が変わってもほぼ同じ瓔珞だった。

観音菩薩立像 ガンダーラ、サハリ・バハロール出土 4-5世紀 ペシャワール博物館蔵
『ガンダーラ彫刻展図録』は、本像は頭体のバランスが崩れ、肉体も抑揚を欠いたものとなり、衣文線も形式化の進んだ単調な表現となっている。かつて、この作品は7世紀を遡らないといわれていたが、同遺跡出土のコインから仏教寺院の造営は2-5世紀頃であったという見方もあることから、その晩期における制作とみておきたいという。
鼻が欠けているのか、パッと見てガンダーラ仏だとは思わなかったこの像だが、時代が下がっても菩薩の瓔珞はほぼ同じだった。 どうも瓔珞は王侯貴族の装飾品がいつまでも続いて、花綱を掛けるようにはならないらしい。

※参考文献
「インド・マトゥラー彫刻展図録」(2002年 NHK)
「パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録」
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術」(2002年 朝日新聞社)
「ブッダ展」(1998年 NHK)