2006/12/25

キリスト降誕について


クリスマスはキリストの誕生日として12月25日に祝われてる。しかし、12月25日というのはどのようにして決まったのだろうか。
ケルトが冬至、つまり一年で最も日の短い日を新しい年の始まりとしたのを後年キリスト教がキリストの誕生日に採り入れたのだと思っていた。しかし、数年前にミトラ教の影響だということを知った。
このことはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のミトラ教項目に「クリスマスとミトラ教」で簡潔に説明されています。
ロマネスク美術は自分の勉強というよりも楽しみの1つだ。キリスト降誕ということで思い出したのが、マギ(東方の三博士)が眠っている柱頭彫刻だった。それはフランスのオータンにあるサン・ラザール大聖堂のもので、実際に見たことはない。
そこには大きな丸い布にくるまって眠る3人のマギと、マギを起こしに来た天使、そして星が表されているだけである。私はこれを朝寝坊しているマギたちに、流れ星を見てキリストの降誕を知った天使が知らせに来た場面だと先程まで思っていた。もっと詳しく言うと、天使が指で触れたマギだけがパチリと目を覚ました瞬間を描写したものと思っていた。ところが、 田村武能氏の写真集『ロマネスク古寺巡礼』は「マギの目覚め」として、マギの眠りは三人三様であった。天にのぼる星を指さす天使にうながされて、東方からきた三博士は、安らかな眠りから目覚める(『新約聖書』マテオの福音書2章2-12」)。マギはキリストを信じた最初の異邦人であったという。
そして『世界美術大全集8ロマネスク』では「眠るマギへのお告げ」として馬場雅美氏は、オータン大聖堂内陣入り口北側の柱頭と北祭室へ導く通路の入り口柱頭には、「マタイ福音書」第2章に基づくキリスト幼児伝が集中していたが、マギをめぐる物語が3場面(「ヘロデ王の前のマギ」「マギの礼拝」「眠るマギへのお告げ」)も取り上げられている。 ・・略・・ 「眠るマギへのお告げ」は、オータンの工房独特の大ぶりの花房をつけた幻想的な植物の茂みの上に展開している(この部分は今日切断されている)。連珠の縁取りのある掛け布にくるまる3人のマギが、豪華な枕に頭をのせて王冠をつけたまま眠っている。今しもベッドの傍らに立った天使が、片手で神秘の星を指しながら一人のマギの手にそっと触れ、このままヘロデの元に戻らぬようにと告げ、このマギだけが眼を見開いてお告げを聞いている。物語の名手の語り口であり、トレパンで彫った瞳の深い影が魂を宿している。ベッドは頭の部分では俯瞰的に、足元の方では横から捉えられているが、この視点の捻れは掛け布の半円形の同心円状の細かい襞の下に隠されている。光と影の交錯する線と装飾的細部もオータン彫刻の魅力であり、場面をいっそう叙情的なものにしているという。
どちらにしても私が思っていたように朝寝坊をしたのではなさそうだ。
France Bourgogne Autunでは「眠るマギへのお告げ」は柱頭全体が写っているので、「幻想的な植物」を見ることができます。その他の柱頭彫刻やタンパンもたくさんの写真が掲載されています。
タンパンについては『フランスの美しき村』は、西正面扉口を飾るタンパンは、ヴェズレーのサント・マドレーヌ聖堂のものと双璧をなす、有名なものだ。刻まれているのは「最後の審判」の図像で、左右に天国と地獄が描き分けられているのだが、善人のみならず、悪魔や罪人の姿にも愛敬がある。このタンパン、実は「醜い」という理由で、1760年代に松ぼっくりを描いた漆喰で覆われてしまったという。しかし、そのおかげで、フランス革命の混乱時にも破壊されることなく保存されたというから、何が幸いするかわからないという。
また、サン・ラザール大聖堂について饗庭孝男氏は、この教会は1120年から46年にかけてつくられたものであり、ジラール・ド・ルシヨンが1079年、マルセイユから持ってきた聖ラザールの聖遺骨が祀られたために各地から巡礼が集まったという。教会の石質は土地で採れる砂岩を用いているため、やや暗い印象を与えよう。ヴェズレーのサント・マドレーヌ教会の明るさとは異なるという。
『フランスの美しい街』は、大きくゆるやかな牧草地とブドウ畑。ふり注ぐ太陽にきらめく木立の中をゆったりと流れる清冽な川。ブルゴーニュを旅すると、フランス人が自分たちの国を”ドゥース(甘く豊穣で優しい)・フランス”と呼ぶのが納得できる。
その豊かなブルゴーニュの自然に囲まれた、ガロ・ロマン時代の栄光の街オータン。この街は紀元前1世紀頃にアウグストゥスによって築かれ、当時は「ローマの妹にして好敵手」と謳われた。今も市内各所に当時の栄華を偲ばせる遺跡が多く残っている
という。
オータンの街とサン・ラザール大聖堂は下の写真です。グーグルアースでサンラザール大聖堂を発見。

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キリスト降誕から話がそれてしまった。ロマネスク様式のタンパンあるいは壁画などに「キリスト降誕」の場面をあらわしたものがないか探してみたが、不思議なほど見当たらなかった。
そこで、ヴィザンティン様式の壁面モザイクのものをあげることにする。それはアテネ郊外にあるダフニ修道院のドーム下南東スキンチにガラス・モザイクで表された「キリスト降誕」の場面である。
木戸雅子氏は、ピラミッド型の岩山が、イエスの誕生にまつわるエピソードを巧みにまとめると同時に、中央の主たるテーマを際立たせている。洞窟の暗闇の飼葉桶の中に白い布に巻かれたイエスが横たわり、そこに天上からの光が落ちる。飼葉桶を覗く雄牛とろばは、クリスマスの図像に必ず登場するが、その起源は古い。4世紀の教父は降誕を預言する「イザヤ書」の箇所をこう解釈する。すなわち雄牛は律法に縛られているユダヤ人、ろばは偶像崇拝の罪を負っている異教徒、その間に彼らをそれぞれの重荷から解放する神の子が横たわっているというのであるという。

どうも勘違いが甚だしいことが判明した。私はこの図についても、雄牛とロバはユダヤ教徒とイスラム教徒で、同じ啓典の民としてキリストの誕生を見守っているのだと思っていた。考えてみると、キリストが生まれた頃にはイスラム教はまだ成立していなかったし、キリスト教でさえ当然成立していなかったのだった。                           →
キリスト降誕図の最古は?

※参考文献
「NHK日曜美術館名画への旅3天使が描いた中世2」 1993年 講談社
「ロマネスク古寺巡礼」 田沼武能写真集 1995年 岩波書店
「ヨーロッパ古寺巡礼」 饗庭孝男著 1995年 新潮社
「世界美術大全集8ロマネスク」 1996年 小学館
「フランスの美しい街」 2001年 株式会社めるくまーる
「フランスの美しき村」 菊間潤吾監修 2002年 新潮社
「芸術新潮 全一冊フランスの歓び」 2002年 新潮社