2006/11/27

始皇帝と彩色兵馬俑展で戟を見た



今年夏山でハクサンタイゲキを見た。トウダイグサ科だが名前の由来がわからなかったが白山大戟と書くことがわかった。「戟」を調べると「戈と矛を合わせた武器」(三国志の武器)ということがわかったが、なんでこんな名前がついたのだろう。 ハクサンタイゲキのことは忘れていたが、始皇帝と彩色兵馬俑展に行ったら戟が展示してあったので思い出した。前漢(前2世紀)の鉄製の戟(げき)で、長さ11.9㎝幅5.6㎝と埋葬用の明器なので小さい。縦矛に横矛のついた長柄の武器なのだそうだが、これを見てもトウダイグサ科の草と類似点があるように思えない。ところが思いも寄らないところに、全く異なる形で戟を見つけた。それは法隆寺金堂の四天王の内増長天が左手に持っている長い棒の先についている透彫の金具だった。そしてそれを見つけたのは、戟などという武器とは全く関係のない「日本の美術358号唐草紋」の中だった。
同書は、パルメット唐草紋とは趣の違う細線構成の唐草紋で、井上正の分析によると、連続する波状曲線とこれに直接接着する大小のC字形よりなる部分と、これとは直接接着せずに空隙を充填するごとく挿入された尾のある1箇のC字形の部分とに分解できるという。 戟という武器が前漢から法隆寺の四天王像が作られた7世紀まで、どのように変化してきたのかを調べる気はないが、どこで何に巡り会えるかわからない。

※参考文献
「日本の美術358号 唐草紋」 1996年 至文堂
「始皇帝と彩色兵馬俑展」 2006年 TBSテレビ・博報堂