法隆寺金堂天蓋から7 ところが
長々と「法隆寺金堂天蓋から」のシリーズをやっていた。やっと終わったと思ったのもつかの間、「3中原の石窟には」で、河南省洛陽市の龍門石窟賓陽中洞の窟頂にあった。この窟は敦煌莫高窟で見たような伏斗式方形窟ではなく、ドーム窟となっている。
ドームの中央部に大蓮華、更に外側に2列の小札(こざね)形垂幕と三角形垂幕がいずれも浮彫で表されている。
小札形垂幕と三角形垂幕の組合せ装飾は、鮮卑族のフェルト製テントの内側を飾っていた装飾であった可能性がある、と、遊牧民族の住居の室内装飾が起源ではないかと考えていた。
ところが、山西省大同にある雲岡石窟の第6窟内中心柱南面上層には、法隆寺金堂天蓋と同じような装飾があることがわかった。時代でいうと、洛陽へ遷都する前、平城が都であった5世紀後半になる。
中心柱窟というインドのチャイティア窟に起源をもち、天山南路中央にあるキジル石窟に多い石窟の形式で、敦煌でも早期窟に見られたものが、雲岡では、中期のこの時期になって現れたらしい。そのような西方色の濃い窟内に、中国式服制の如来、4隅に瓦葺きの九層の塔と不思議な組合せだ。
そしてこの九層の塔が支えているのが、2重の三角形垂幕と襞が重なる幕だった。
ということで、この窟には小札形垂幕があるのかどうかわからないが、三角形垂幕や重なる襞の幕はもともと中国にあった可能性もでてきた。
関連項目
天井の蓮華
※参考文献
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館