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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/07/06

出雲日御碕は灯台だけではなかった


出雲大社を過ぎて海岸線の道へ。こんな風に写るとは😅
途中で下の方に立派な神社が見えた。日御碕神社だった。

こんな雨の中を灯台まで行くなんてと思っていたが、駐車場に着いてみるとすぐそこに見えていた。これなら行けるやん。

しかし、そのまま直進するのではなく、道はかなり左から迂回して、集落のT字路に当たった。それで思い出した。かなり歩いた記憶は、灯台ではなく経島にウミネコを見に行ったものだった。
その時、経島近くの海岸でウミネコが抱卵していて、イタチなどに狙われないかと心配になったのと、あまりにも警戒心のなさに呆れたことも蘇ってきた。

集落が途切れ、灯台への道のりの途中で咲いていたこの黄色い花。最初はタンポポだろうと思ったが、海辺に全然ちがう、よくわからない花だった。

そして日御碕灯台へ(何故か全体を写した写真がなかったので、灯台の中にあった古い写真を写したものです)。
説明パネルは、建設当時は、職員が家族で生活するため石造りの職員宿舎(美保関灯台と同型)やレンガ造りの倉庫等がありましたが、1974年に有線監視方式による無人管理とした際に取り壊しましたという。

出雲日御碕灯台の構造についてという説明パネルは、この灯台の構造は、「組積造りによる二重殻複合構造」と言われているもので、外壁は石造り、内壁はレンガ造りになっており、掲示している断面図のようになっています。
石やレンガによる組積造りによる灯台の建築技術は、明治初期にイギリスやフランスにより導入されましたが、外壁と内壁の間に空間を設けた二重殻構造の灯台は、これ等諸外国には見られず、地震国日本における地震対策として独自に開発された技術ではないかと言われていますという。
使われている石材は、凝灰質砂岩と言われているもので、島根半島北端にあります美保関町森山で採取されましたという。
地上からは43.65mで日本一背の高い灯台らしい。
これらの構造を直接観察できるように透明板を取付けましたので見学してくださいという。レンガがところどころないのだけど。

急な螺旋階段を上っていくと、
2-5階の壁面には他の灯台の写真などが飾られていて、

今日は雨なので6階までしか行くことができなかった。
壁にこんな古びたガラス窓がかけてあって、
危険、
このガラスは、灯台の一番高い部屋(7階)の「はり板」ガラスが、台風などでこわれた時に使用する非常用の「はり板」ガラスです。
落ちると危険ですので、さわらないようお願いしますと書かれていた。
電球の替えも。
7階への階段はもっと急。

隙間から上を見上げると、光を遠くまで届けるレンズが不思議な重なりで見える。
館内の説明パネルは、高原の一等レンズ(フランス製、直径2.59m)は、全国で6箇所しかない貴重なものです。
光の強さ     48万カンデラ
光の届く距離   21海里(約39㎞)
地上から灯台頂部 43.65m日本一
水面から灯火   63.30m 
電球も2つ見える。

6階の窓から切り立った断崖や遊歩道が見える。

下階に下りると、灯台と海岸の航空写真があって、そこには遊歩道がすでにあるのだった。

雨だったが、灯台から見た場所を確かめようと、遊歩道を歩いてみることに。
説明パネルは、日御碕一帯には標高20-30m程度のやや平坦な面がひろがっています。これは、海岸段丘とよばれるもので海面がこの高さまで上昇していた時期があったことを意味し、波による激しい浸食作用で当時の海岸付近につくられた平坦面の名残です。これは約数万年前の出来事です。
現在は、これらが風化した10-15m程度の表土におおわれていますが、このあたりのように季節風による波しぶきを受けやすい西側では表土がけずりとられ、その下にある硬い岩盤がやや平坦な面をなして地表に顔を出していますという。
探すまでもなく、この突き出した崖だった。
それよりも、近く岩が小さな柱状節理になっていることで雨が気にならなくなっていた。柱状節理が大好きなので。
この海岸は全てが柱状節理の玄武岩で、この先にも続いているみたい。
物好きは我々だけではない。
転がっている岩も、
風化して崩れているところも、
かさぶたのようなものが残っているところも、剥がれているところも、
流れ出た熔岩が固まって止まったようなところも、
何かわからない塔へと続く斜面も、全てが風化した柱状節理なのだった。

灯台だけを写していては気がつかなかったかも。

上の方は熔岩流がここまで流れて動きを止め、その下から熔岩が出てきたたような。
下の方の岩は黒っぽいけど、玄武岩は本来黒いので、やっぱり玄武岩かな?
可憐な花は柱状節理の割れ目から生えている。
先ほどの黄色い花といい、日御碕に咲く花の名称はわからない。フタバウンランでもなさそう。
ほかのところとは色が違うし、風化の仕方も違うが、これも柱状節理。

柱状節理に目を奪われていたが、植物もいろいろとあるのだった。
これはホウチャクソウではない。
ナルコユリ?
いや、アマドコロだろう。 
『日本の野草』は、ユリ科。和名は地下茎がトコロ(ヤマノイモ科)に似て、甘味があることによるという。名称がハシリドコロに似ているので、毒草かと思っていた。

椿のような艶のある葉の灌木に
梅のような花が咲いていた。オートで撮るので、どうしてもくっきりした葉にピントが合ってしまう。

松林の中に四阿があるらしい。
左手にはいつか転がり出しそうな岩が。
風化してバラバラになってしまうのと、転がるのと、どっちが早いだろう。

また別のところには、柱状節理の柱状のところが鋭く現れている。
岩にまとわりつく蔓状の植物は、野生のアスパラガスのよう。

海岸に目を向けると、岩礁が続いているようだ。
出雲松島だった。
説明パネルは、眼下に浮かぶ大小20余りの島々を総称して「出雲松島」と呼んでいます。いずれも流紋岩からできており、それが激しい波の浸食作用や海面の昇降運動によって次第に美しい形に仕上げられたもので、中には海食洞の発達した島も見られます。また、岩礁域にはホンダワラ類・アラメ・クロメ等が着生し、みごとな海中林を形成しており、メバル・カサゴ等の寝付魚が多く生育していますという。
火山岩は玄武岩だけでなく、流紋岩もあるのだった。
岩礁や下の方の岩は流紋岩だったのだ。
右前方にちらちら見えるのは海鳥の群だった。おそらくウミネコだろう。
これが灯台とその敷地の全景。

島根県立古代出雲歴史博物館 隠岐の黒曜石← →萩の笠山

参考文献
「山渓カラー名鑑 日本の野草」 1983年 山と渓谷社