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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/11/14

来迎図6 鶴林寺太子堂仏後壁2




鶴林寺太子堂仏後壁には九品来迎図が描かれている。
『鶴林寺叢書1鶴林寺太子堂とその美』は、太子堂は天永3年、つまり平安時代末期に建てられた建物である。平安時代の骨格を残しながら、建物を拡張し巧妙な改造が施され、壁画や厨子などの新たな荘厳が加えられて、鎌倉時代後期の正中3年にほぼ現状のような姿となったという。
このことから、正中3年(1326)に仏後壁の来迎図も描かれたと推定されている。

来迎図の下の方には、風景の中に、日常生活なども描写されている。
その復元模写図 高木かおり氏作
また、それらを隔てる山水の表現も素晴らしい。
『日本美術273来迎図』は、図はいわゆるやまと絵山水を背景にし、その山の端や山かげを利用して、往生者の家に下降する来迎の諸衆などを描くが、鳳凰堂のそれに比べれば空間的制約もあって著しく簡潔であるという。


⑦ 下品上生図 赤外線写真の絵葉書
絵葉書には中品下生図となっているが、見学している時にたまたま来られていた住職の幹氏に尋ねると、学者によって意見の分かれるところであるらしい。
並びから考えると、下品上生と見た方が自然でしょうとのことだった。
復元模写図
板葺きの屋舎に住まう人物の姿は見えない。阿弥陀三尊のみの来迎である。  

⑧ 下品中生図 赤外線写真の絵葉書
建物の左には放火している男が描かれている。
『日本の美術272浄土図』は、仏堂に放火するさまは下品中生相当の三宝破壊等の造悪の所行を表すという。
復元模写図
朱塗りの寺院の上方に、観音菩薩のみが来迎し、金色の蓮台を持っている。
放火する者、三層石塔に登って法輪を落とそうとする者。その者を射ようと馬上で構える者、その後ろの人物は武士ではないようだが、やはり馬に乗っている。そしてその下には、水辺では網を引く男達。これらは殺生と考えられていたようで、それでも悔い改めれば、観音菩薩だけしか来ないが、下品中生の往生ができることを表しているようだ。

⑨ 下品下生図 赤外線写真の絵葉書
このように、蓮華座に乗り来迎する日輪、つまり日輪蓮華だけが大きく描かれている。
仏後壁の赤外線写真の絵葉書には、日輪近くの部分のものがある。

その説明は、悪業の臨終者を火の車で迎えにきた冥府の使者と鬼たちという。
その右上に続く絵葉書
悪業の臨終者に説法し、懺悔による極楽往生をすすめる僧侶という。

これら3枚は、悪業を尽くした者の臨終に際し、冥府の使者と鬼たちが火車を用意して待ち受けている時に、僧侶達が懺悔を勧め、それに従ったので、下品下生ながら極楽に往生を遂げることができたという場面を描いているのだった。

下左隅 赤外線写真の絵葉書
裏の説明は、鵜飼をする鵜匠。最古の鵜飼図であろうという。
復元模写図
これも殺生のうちかな。

おまけ
仏後壁背面には仏涅槃図が描かれていた。
台の枕の辺と足元の辺が右上上がりに描かれている。これは日本では涅槃図の古い様式で、鎌倉後期になると左上がりになる。
その復元模写図 高木かおり氏作
時代が下がると様々な動物が嵩多く描かれるようになるが、ここでは、応徳涅槃図(金剛峯寺蔵、1086年)と同じく獅子一頭だけである。
また、釈迦の涅槃を知り、兜率天より飛来する摩耶夫人が、この図では兜率天に戻っていく途中に振り返ったような描き方がされていて珍しい。
涅槃図についてはこちら

        来迎図5 鶴林寺太子堂仏後壁1

関連項目
鶴林寺太子堂は変身していた
平成知新館3・蓮華座13・来迎図2 斜め来迎図
平成知新館4・来迎図3 山越阿弥陀図(やまごしあみだず)
當麻曼荼羅3 九品来迎図
涅槃図に飛来する摩耶夫人

※参考文献
鶴林寺の絵葉書 
「鶴林寺叢書1 鶴林寺太子堂とその美」 刀田山鶴林寺編 2007年 法蔵館
「刀田山鶴林寺」
「日本の美術272 浄土図」
「日本の美術273 来迎図」