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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/01/28

古代マケドニア1 ヴェルギナの唐草文



ヴェルギナでは副葬品やペブル・モザイクに蔓草文がいくつか見られた。

黄金製骨箱 前4世紀後半 第2墳墓主室出土
『ベルギナ』は、蓋には大きな16本の放射線で飾られた星、そして側面にはゆりの花などの装飾が連続してありましたという。
形としては割合そっけないのに、四方に獣足が付けられている。

正面からの図版で見てもわかりにくいが、上段はアンテミオン、中段は10の花弁をラピスラズリを象嵌したようなロゼット文、下段がそのユリの花。
拡大すると、中央にギザギザの葉が数枚、その上に花や蕾、そこから左右に、葉を出しながら、あるものは渦巻き、花柄も出たりしながら蔓が伸びている。唐草文と呼んでもおかしくない。

金糸で織られた深紅の布 控えの間黄金の骨箱より出土
『GREEK CIVILIZATION』は、金の骨箱に納める前に死者の遺骨を包んだ紫布は、2つの紋章がよく復元されている。それらは長く幅のないペプロスの裾だった。金地は非常に繊細な金の糸で織られ、紫の布はおそらく羊毛だったという。
刺繍ではなく織物なのだろうか。
羊毛は虫に食われやすい。半分に畳んでいたために、虫食い穴もほぼ左右対称になっている。

ほぼ左右対称なので、その半分を拡大
同書は、花のモティーフは伸びる渦巻の中に取り込まれている。中央の萼から生えた大きなアカンサスの葉、巻きひげを周囲に伸ばし、空間を埋めて、先は花や葉で終わっている。一対の小鳥が巻きひげの上に留まっているという。
半分なので1羽しかいなくなってしまったけど。
主室で発見された骨箱の蔓草文に比べると、蔓の表現が稚拙な印象を受ける。それが制作時期の違いなのか、金工と織物の違いなのか、これでは唐草文とは呼べない。
ディアデム 前室の黄金の骨箱より出土
同書は、遺骨の横には女性用ディアデムがあった。古代の金工の最高傑作である。上に昇っていく植物の中央には「ヘラクレスの結び目」があり、縦溝のある巻きひげが外側に伸びている。青ガラスが円盤や葉に象嵌されている。
我々は被葬者が誰か知らない。フィリポス2世の最後の妻で、彼が暗殺されてすぐ後に殺されたクレオパトラではないかと言われているという。


ディアデムは中央と左右の3部分を繋いだようで、蔓は中央から左右に伸びているわけではないが、これはもう唐草と呼んでも良いほどの出来映えだ。このような蔓草の表現は、金工の方が先に始まり、前4世紀後半には完成の域に達していたのかも。

墓石柱 大墳墓(メガリ・トゥンバ)出土
上部は唐草文、アカンサスの葉、卍繋文などで丁寧に装飾されている。

破風にアカンサスの葉、上に咲く花、小さな葉、そして左右に伸びる蔓が色彩豊かに描かれている。根元のアカンサスの葉が翻って内側が赤く見えている。
テッサロニキのアヒロピイトス聖堂、アーチ内側のモザイクにも見られるこのような表裏色を変えたアカンサスの葉の表現が、古代マケドニアの時代にすでにあったのだ。
屋根の上にも蔓草文様が左右の軒から中央に向かって伸び、それぞれに青い装飾がある。当時の軒飾りを表現したものだろうか。

エウリュディケの墓の玉座背もたれ 前340年頃
外周の文様帯に蔓草文様が巡っている。
両側下部にはアカンサスの葉が茂り、そこから蔓が2本の巻きひげや小さな花を出しながら、上に向かって成長を続けていく。パウシアス・スクロールに繋がりそうな蔓草だ。

宮殿に残るモザイク
『ギリシア美術紀行』は、アンドロンに床モザイクを施すことはヘレニズム時代の慣例であった。現場にはEの間のモザイクだけが、C.レファキスの手で復元されている。花弁と萼から成る一つの花文様を中心に蔓と葉が規則的にその周囲に繁茂する。それらをメアンダー文様と波頭文でできた二つの円環状の帯が取り巻き、残った四隅に、脚部が蔓に変形した女性像が配される。黒、白、灰、赤、黄の河石で作られた、所謂「小石モザイク」であるという。
残念ながら見学はかなわなかった。
ヴェルギナに関する本は4冊ほど買ったが、その中でカラー図版といえばこれだけ。
卍繋文は3列の白い丸石(ペブル)を並べて描かれている。

女性の上着は赤いベルトの下で左右に分かれ、裾がアカンサスの葉になっている。
脚が変形したものとされる蔓は、エウリュディケの墓の玉座背もたれの文様帯に描かれた巻きひげのように2本には分かれておらず、リボンのよう平たいが幅のある蔓として、4列の丸石で表されている。
ユリの花のようなものは1列のペブルで、渦巻く曲線をみごとに表現している。

前4世紀後半のものとされるこれらの蔓草は、織物を除いてはほぼ唐草文となっている。
一方、エピダウロス、アスクレピオス神殿(前380-370年頃)の軒飾りにはすでに巻きひげのある蔓草がアカンサスの2枚の葉から伸びている。このような単純なアカンサス唐草が、古代マケドニアで華麗に変身したということだろうか。

                        →古代マケドニア2 ペラの唐草文

関連項目
メアンダー文を遡る
ギリシアとヘレニズムの獣足
卍繋文の最古は?
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
ペブル・モザイク2 ペブルからテッセラへ
ペブル・モザイク1 最初はミケーネ時代?
アカンサス唐草文の最初は?
エピダウロスのトロス2 天井のアカンサス唐草
アカンサスの葉が唐草に
古代マケドニア6 粒金細工・金線細工
古代マケドニア5 黄金製花冠とディアデム
古代マケドニア4 墓室の壁画にも蔓草文
古代マケドニア3 ベッドにガラス装飾

※参考文献
「ベルギナ 考古学遺跡の散策」 ディアナ・ザフィロプルー 2004年 考古学遺跡領収基金出版(日本語版)
「GREEK CIVILIZATION MACEDONIA KINGDOM OF ALEXANDER THE GREAT」 Julia Vokotopoulou 1993年 Kapon Edidions
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社