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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/05/08

キミシスはギリシア正教とアルメニア教会では左右逆

アニ遺跡のティグラン・ホネンツが寄進した聖ゲオルギウス教会の右壁はフレスコ画がよく残っていた。説明板には1215年建立とされる。
その最下段はキミシスという場面だった。
キミシスは聖母の死のギリシア語か思ったら、聖母の眠りとすることもあるようだ。
聖母の臨終にあたり、キリストがやってきて、天国に連れて行こうとマリアの魂である幼子を抱いている。
ビザンティン教会でもキミシスはある。

聖母の眠り(キミシス) イスタンブール、コーラ修道院(現カーリエ博物館)本堂西壁 モザイク 1316-21年
『コーラ カーリエ博物館』は、このテーマに登場するすべての人々を描き込むため、死の床に横たわった聖母を底辺とする三角形の構図をとっている。キリストの弟子たちが聖母を囲み、天使が三角形の外側から近づいてくる。顔だけ聖母の方に向けたキリスト、その手に抱かれた赤ん坊はマリアの魂を象徴しているという。
聖ゲオルギウス教会の壁画と異なるのは、聖母の向きである。 
聖母の眠り セルビア、ソポルチャニ修道院主聖堂ナオス フレスコ 1263-68年
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、この時期のコンスタンティノポリスにはほとんど壁画が現存しないため、ソポルチャニはコムネノスからパレオロゴスにかけてのビザンティン絵画の変遷を考えるうえで欠かせない重要な作例であるという。
残念ながら、ビザンティンには、聖ゲオルギウス教会よりも以前にキミシスを描いた作品は残っていないようだ。
こちらも聖母の頭部は左側にある。また、ビザンティン美術では、コーラ修道院以降も、キミシスでは聖母の頭部は左側に描かれている。
ビザンティン美術で1215年以前のキミシスを見付けることはできなかった。

トラブゾン郊外の山中に造られたスメラ僧院は、フレスコのほとんどは18世紀のものだが、比較的後期ビザンティンの様式と構図をよく伝えている(『世界歴史の旅ビザンティン』より)という。
キリストは以前のものと同様にマンドルラ(アーモンド型の光背)に包まれているが、両手は聖母の方に向けられていて、幼子を抱いているようには見られない。
時代は下がっても、ビザンティン様式のキミシスは左側に頭を描くようだ。

アルメニア様式では人物が枕元と足元に静かに立っている程度だが、ビザンティン様式では聖母を取り囲んで嘆き悲しんでいる。
アルメニアの他の教会にもキミシスは描かれているのかどうかさえ手がかりがないのだが、ひょっとすると、アルメニア教会ではキミシスは聖母の頭部を右にして描くのが一般的だったのかも知れない。

このように見ていくと、全く関係はないのだが、キミシスは仏涅槃図とよく似た構図だ。

※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」1997年 小学館
「ビザンティン美術への旅」赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社
「コーラ カーリエ博物館」ファティヒ・ジモク 原田武子訳 
「世界歴史の旅 ビザンティン」益田朋幸 2004年 山川出版社