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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/09/21

エジプトの王像8 ルクソール博物館で微笑む像を探したら



ギリシアで人の彫像がつくられるようになったのは、エジプトの彫像に影響されたからだという。ギリシアの彫像が左足を出しているのもそのためらしい。
ギリシアのアルカイック期の像は笑みを浮かべているのが特徴だが、エジプトでは微笑んでいる彫像はあるのだろうか。エジプトに行ったら確かめたいことの一つだった。
ルクソール博物館はカイロのエジプト博物館とは比べものにならない小さな博物館で、展示物も少なかったが、作品と作品の間が広く、ゆったりと見て回ることができた。果たして微笑む王の像は見つけられるだろうか。



アメン神姿のツタンカーメン立像顔部分 石灰岩 第18王朝、ツタンカーメン王期(前1335-46年) カルナック神殿の隠し場出土 全高155㎝ ルクソール博物館蔵
『ルクソール博物館図録』は、カルナックのアメン大神殿は第7塔門の前の中庭から数千もの王像が出土したが、その通称が隠し場である。2枚の羽をまっすぐに上に向けた冠を被るのは、テーベの偉大な神アメン神姿だからだという。
ルクソール博物館に入って正面にあるのがこの立像だが、説明を聞くまでこれがあのツタンカーメンの像だとは思わなかった。ツタンカーメンの墓より発見された黄金のマスクや黄金の玉座のツタンカーメンと全く似ていなかったからだ。
アメン神姿ということもあってか、表情は硬く、微笑みのかけらさえ見えない。
アメンホテプⅢの巨大な頭部 桃色花崗岩 第18王朝、アメンホテプⅢ期(前1405-1340年) ルクソール西岸クルナのアメンホテプⅢ葬祭殿出土 高215㎝(の部分) ルクソール博物館蔵
顔は均整がとれて優美である。アーモンド形の目と彼の彫像に典型的な平たい唇をしているという。
アクエンアテンの父である。博物館入口を入って右にこの巨大な頭部が展示されていた。唇の両端をきゅっと上に上げているが、微笑んでいるように思えない。
アメンホテプⅡ像(おそらく座像)
桃色花崗岩 第18王朝、アメンホテプⅡ期(前1454-19年) カルナック出土 高110㎝ ルクソール博物館蔵
吉村作治の古代エジプト講義録下』は、二重冠をかぶった王の上半身像。第18王朝時代特有の柔和な姿で表現されているという。添付の写真は斜め左から写されたもので、確かに柔和な表情をしている。
しかし、正面から見た下写真は顔に光が当たり過ぎているのか、表情の柔らかさが伝わってこない。 
トトメスⅢ立像(膝から上)
硬砂岩 第18王朝トトメスⅢ期(前1504-1452年) カルナック、隠し場出土 高90.5㎝ ルクソール博物館蔵
『世界美術大全集2エジプト美術』は、彫像の両眼は象嵌されていないが、柔和な微笑みをたたえた表情をしており、上半身は裸で、筋肉質の美しい若々しいフォルムに造形されている。
こうした現世を超越・昇華した理想的な顔つきや肉体表現などが、この時期の王像表現の規範であるという。
この像の前まで来た時、このような微笑みがきっとギリシアのアルカイックスマイルに繋がるのだろうと確信した。
その後、興味深い王の顔を見つけた。トトメスⅢともハトシェプストとも特定されていないらしいが、ルクソール博物館蔵のトトメスⅢ像の顔によく似ている。


王像頭部 緑色片岩(シルト岩) 新王国第18王朝、前1479-1425年頃 高45.7㎝ 大英博物館蔵
『大英博物館古代エジプト展図録』は、王像の顔は、理想化して表現されている。しかし、その顔にはハトシェプスト女王や、義理の息子で共同統治者かつ王位継承者でもあるトトメス三世の表現に見られる「トトメス時代の特徴」が、はっきりと現れている。女王は常に男性として表現されるので、王名の銘文がなければ、両者の違いを区別するのは難しい。トトメス三世の表現においては、前王のハトシェプスト女王と比べると、眉のそりは小さく、両眼はそれほど寄っておらず、つり上がってもいないが、口は大きく、鼻梁は際立ち、鼻は広く、顔の輪郭は角張っている。本像にも女性的な柔らかい表現がいくぶん認められるが、トトメス三世が単独で権力を掌握してからすぐに本像が制作された可能性もある。ハトシェプスト女王の表現法の方が、まだまだ手になじんでいたのである。本像に見られる熟練した技術と、その仕上げのすばらしさは、第18王朝初期の彫刻様式が最高潮に達したことを示しているという。
残念なことに、同展図録にもルクソール博物館の図録にも、微笑んでいるという表現がない。
ギリシア人はこのような第18王朝初期の王像に惹かれて、自分たちの人物像にも微笑ませたのではないだろうか。
ところが『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、片脚(必ず左脚)を半歩踏み出して動きを内包し、腰に当てた手は堅く握りしめて男性らしく意志の強さを示す。この立像形式が古代、とりわけ末期王朝時代のエジプトの男性像形式にのっとって発案されたことは疑いないという。
なんと、ずっと時代の下がった末期王朝時代(第27-31王朝、前525-332年)だったとは。アッシリアの支配から逃れたと思ったら、アケメネス朝ペルシアに征服されてしまった時代である。


※参考文献
「世界美術大全集2 エジプト美術」(1994年 小学館)
「ルクソール博物館図録」(2005年 Farid Atiya Press)
「吉村作治の古代エジプト講義録下」(吉村作治 1996年 講談社+α文庫)
「大英博物館 古代エジプト展図録」(1999年 朝日新聞社)
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」(1997年 小学館)